明治生命保険相互会社本社本館 | |||||||||||||||||||||||
昭和初期におけるオフィスビルの最高峰。
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明治生命館の歴史
設計コンペで岡田信一郎案を採用:昭和3年(1928)設計を依頼された建築顧問の曽根達蔵が,指名コンペ方式を提案し,当時を代表する建築家8名を推薦。採用されたのが東京美術学校教授の岡田信一郎の設計案。
起工&竣工:起工は昭和5年81930)9月。間もなく岡田は病に臥し昭和7年(1932)4月急逝。当初から設計に参画していた実弟の岡田捷五郎が後任に就き,昭和9年(1934)3月31日竣工。
GHQによる接収: 昭和16年(1941)から始まった金属回収令で,意匠的に「優れた金属製品の多くが供出された。そして終戦。昭和20年(1945)8月連合国軍が進駐を開始。アメリカ極東空軍司令部として使用するため接収される。米英中ソ4カ国による対日理事会の会議が2回会議室で計164回も開かれ,マッカーサー連合国軍最高司令官も何回もこの会議に出席したと言う。
接収解除と全面復旧:アメリカ軍からの返還が正式に決定されたのが昭和31年(1956)。同年7月18日返還式が挙行された。返還後の復旧工事は昭和31年末に完了。
重要文化財に指定:その後も建物の改修・修理,設備の更新などが行われ,往時の姿を今に伝える建造物として平成9年(1997)国重要文化財に指定される。
基壇階 窓グリル,ランタン型照明器具が目を引く。 |
店頭営業室 大空間に柱が林立する店頭営業室は館内で最も荘厳な雰囲気が漂う空間。イタリア産の各種の大理石が用いられている。漆喰と精緻な石膏彫刻が施された天井,中央部のガラス屋根のトップライトから柔らかな光が降り注ぐ。現在は丸の内お客様センターとして使用されている現役空間である。 |
会議室 アメリカ極東空軍司令部としての接収期間中,米英中ソの4カ国代表による対日理事会の会場として使用されたのがこの会議室。外国産のチーク材が多用されている。 |
食堂 天井や梁に施された石膏レリーフには,ぶどうと蔦がデザインされている。手前に調理室から料理を運び上げる配膳用エレベーターが3基設置された配膳室がある。 |
ラウンジ 見学者用の待合室となっている豪華な空間。見学者はまずここに入ってゆったりしたソファーに座り荘厳などでかい空間に度肝を抜かれる。 |
アンモナイト化石 店頭営業室の床は,中生代ジュラ紀(2億年前〜1.35億年前)のイタリア北部産の赤色大理石が敷き詰められていて,よく見ると数個のアンモナイト化石を見つけることが出来る。アンモナイトは古生代後半から中生代全般にかけて世界中の海に繁殖し中生代の終わり(6500万年前)に絶滅するまで1万以上の種に分れた。それぞれの種の生存期間が短くかつ世界中に広く分布するため重要な示準化石となっている。 |